裁判員裁判において市民が裁場員に選ばれれば,法廷で生の事件の証拠を検討することになります。
人が怪我をしたり亡くなったりした事件では,当然警察検察は怪我の状況や遺体の状況,死因について捜査をし,証拠を作成します。
市民が普通に生活している分には,このような死因などに関する証拠(遺体写真や解剖写真など)を見ることはありませんので,これらの刺激の強い証拠を裁判で取調べるべきかということが問題になることがあります。
少し前に,裁判で遺体写真を見て精神的苦痛を被ったとして国に損害賠償請求を提起した方もいました。
裁判員のことを考え,裁判所は,できる限り刺激的証拠を取調べない方向で審理を進めようとします。
しかし,検察官,弁護人という当事者からすれば,生の証拠や事実から離れて真実を判断することはできないという感覚があります。
遺体写真などを見ることに抵抗がある方がいるのも理解できますが,だからとしって真実を解明しなくてよいということにはなりません。
もしかしたら嫌がるかもしれないという抽象的不安で,審理に必要な証拠を調べないということになれば本末転倒でしょう。
もちろん,判断するのに不必要な場合にまで調べる必要はありません。
裁判は被告人だけでなく被害者の人生にも大きく関わり,それは国のあり方にとっても絶対に間違いを生んではいけないし,できる限り証拠に基づいて判断されなければなりません。
司法という国家権力を担うために裁判員になることも国民の義務なのです。
東京ディフェンダー法律事務所 坂根真也