刑事裁判は、検察官が市民を起訴し、弁護人が検察官が起訴した市民を守り、裁判官が判断する、という構造を取っています。検察官が証拠を集めて有罪と考える被告人を起訴し、弁護人は検察官の主張や証拠に反論し、弁護側も独自の証拠を集めてそれを法廷に提出する攻防が行われます。こうした攻防を中心として行われる裁判を「当事者主義」と呼びます。たとえば裁判官が当事者の攻防を離れて裁判官室を飛び出し、事件について独自の調査をしたりすることはありません。検察官や弁護人はプレーヤー、裁判官は審判の役割です。
このような例では裁判官の越権では明らかですが、当事者主義がどこまで尊重されるべきかの境目は曖昧です。裁判官の中には、積極的に当事者の主張立証活動に口を出したり、時には立証活動を制限したりする裁判官がいます。しかし、個人的にはこのような裁判官に出会うととても幻滅してしまいます。やはり、事件に最も近いのは当事者ですし、当事者が最良の材料を提供するはずです。逆に、当事者が主張立証を失敗すれば当事者の責任です。そこに裁判所が口を出して、良かれと思ってあれこれやっても、正しい事実認定には近づかないと思います。
審判が目立ったほうが良いスポーツなんて聞いたことがありません。裁判官は、当事者の主張立証活動を尊重し、審判の立場に徹するべきです。
弁護士山本衛